ましてや「表現の自由」などという、なかば作家のエゴみたいなものを主張されても呆れるより他ありません。
まさか子供たちの未来よりも、レイプシーンを描くことの方が大事などとは思ってないですよね?
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ちょっとこれはあんまりだなぁーとおもったので。ジェットさん知ってる人なので、遠慮なく書くけど(笑)、基本的なスタンスとしてまず「僕も基本は子供が健やかに育つことを希望」であることを表明したうえでね。
ジェットさんの主張、ちょっとこれは短絡的じゃーない? と思う。
「子供の安全と健全育成の前では、漫画家の「表現の自由」など取るに足らない」
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なんでかというと、まず第一に「健やかに育つ」ということが今回のような表現を規制することによって可能なことだとおもえない。短期的には自分の子供がいる人は身近なところの環境の問題なので、そのほうが良いと思うこともあるだろう。でもね、理由は明々白々で、表現を規制して触れさせないという「純粋培養的」なことをしたら、その環境以外へは適応できなくなるんじゃなかろうか?
ここで僕が主張してるのは「レイプを描く=表現の自由」だ。ということでもなく、当然それが大事かどうか? という問題ではなく、我々の人生には「(程度の問題はあれども) 恣意的な表現が許されていて、ルールの上で恣意性を発揮する人々も、それを趣向する人々もいる」ということを知り、それに対する構えを一人一人が作ることが必要なのではないか? ということです。そしてその構えをどう作るか? ということが文化的な発展や人間としての営みと繋ってくるとおもっています。
なので根治療法的には、親や教育という「知ったことをどう処理するのか?」を伝えていく仕組みにこそ「どのような表現を我々は今後"して"いくのか? 」という問題についての解決策があり、そこの構えがきちんとすると、実はレイプを描くことがどういうことか? ということが理解できるから、その数は減るはずだ(減るほうが良いという認識が増えれば) とおもう。しかしそう考えると親の仕事って大変ですね、、、
ただ、それも人の恣意性の発揮を前提してのことなので、完全に消えないだろう。でもそれは、規制しても結局存在するし、それに出会う可能性とそれを求める可能性も消せない(知らなければ求めないってことでもない気がするし)。その上で規制したらしたで、ちば先生が漫画で書いてるところ(そしてジェットさんもそれについては会見の内容で同意してるように) のような形での影響範囲が大きい予測がされるし、その法律自体が「(明確な基準が存在しない以上)すべての表現についての規制に繋る法律」で、それについて規制することがどう言うことなのか? ということを議論がされないのは良いことだと思えないし、これについては議論したほうがいいとおもう。
なので「子供の安全と健全育成の前では、漫画家の「表現の自由」など取るに足らない」と、いうのはこの問題の一番の問題点とも論点が違うし、ジェットさんが懸念する子供の健全育成についても解決策になっていないんじゃないかな?
あと、表現の自由というのは作家のエゴではないですよ。
僕等みんながもっている我々生活を支える土台です。もしかしたら今後そうじゃなくなるのかもしれないけど、今のところは全体的には機能してると思います。
なんかね、こういう問題って表現の自由について自分の恣意性や利益を虐げられる可能性の高い人は声をあげて、可能性の低い人は声を上げない(もしくは同意する)という風になりがちですが、まず第一に「表現の自由」自体は、作家だけでなくて僕等全員のが持っている権利だというところからスタートしたほうがいいんじゃないでしょうか?
それが前提であれば、権利の行使を「妥当性」を考えられる社会を作り、子供達を増やしていくのが良いのではないかな?? と思いますけど如何しょうか。
というわけで、表現の自由を規制することによって、未来の子供達の考え感じ表現する機会や能力を奪うことには僕は断然反対です。
# 一気に書いたので散文失礼。あんまり読みかえしてない(笑)
追記:この件について、こちらのURLのエントリー(http://www.miyadai.com/index.php?itemid=853)も参照するとこの法律の問題点ついては良くわかると思います。僕もゾーニングはしたほうがいいと思っています。
